ひとくくりでしょうが宇治と京都は、違いがあるのです。

あのしかを襲う宇治の犬はどうなったのでしょうか。日本でもこんなことがあるなんて、知らないだけかもしれません。京都も、よそから見ると、京都も髄も同じように見えるのですが、実は、まったく違うのです。そう思うと、平安時代の源氏物語のころだと、もっと、違っていたに違いありません。それこそ、須磨、明石は、今では、人とびできる町ですが、相当な遠いところでしょう。宇治だって、はるかに遠いところです。こう思うと、宇治10条は、何で、書かれたのかと思ってしまいます。そこまで、紫式部は氏を知っていたのでしょうか。確かに、平等院はできましたが、平安当時、平等院以外にも、別荘は多かったのでしょうか。平等院も、今まで、残っておるのですから、洪水の被害はなかったのでしょう。もし、宇治川が氾濫したら、怖いくらいの川なのです。鴨川よりも、ずっと、流れが速くて。平等院のなるところは宇治川にとても近いのですが、被害がないということは、とてもいい立地だといえますね。http://www.goteborghorseshow.co/cathing-kinri.html